~1953年~

村下さんが生まれた1953年のお話を。


2月21日、、、JOAKのコールサインでお馴染みのNHKがテレビ放送を開始します。
初日は4時間ほどの放送でした。

中でもクイズ番組の先駆けであるジェスチャーは人気を博します。
“ターキー”こと水ノ江滝子さんが赤組のキャプテン、柳家金吾楼師匠が白組のキャプテンになり、じゃんけんをします。ジェスチャーして欲しい物を視聴者から募集し採用された物を勝った方のキャプテンが紙に書いてある相手チームメンバーに教えてジェスチャーしてもらい、チームで当てると言う30分の番組。例えばターキーが金吾楼師匠にタコ足配線と告げると、師匠がタコ足配線をジェスチャー。それを見て白組のメンバーが言い当てるゲームで、クイズ番組の元祖と言っても過言ではありません。

軽妙な金吾楼師匠のジェスチャー。咄家だけに演ずるのは十八番と思いきや、難しいお題は、、、文章を区切って、それぞれの単語をジェスチャーして強引に繋げる力業も披露(笑)。
ターキーは、女優だけに演技力も抜群。
二人の演技と後に民放でワイドショーの司会をする小川宏さんをはじめ、宮田輝さん、高橋圭三さんなどスター級のアナウンサーの進行も光る人気番組でした。

後に長く愛された連想ゲームに続いていく娯楽番組の一翼を担ったと言っても良いでしょう。




また、清宮君や、熊本では、秀岳館の田浦君の活躍などが記憶に新しい甲子園の中継もこの年からテレビで人気でした。


3月14日、、、バカヤロー解散(バカヤローかいさん)は、1953年(昭和28年)3月14日衆議院解散の俗称である[1][2]。この解散に伴って第26回衆議院議員総選挙が行われた。

経緯編集

1953年(昭和28年)2月28日の衆議院予算委員会で、吉田茂首相社会党右派西村栄一議員との質疑応答中、吉田が西村に対して「バカヤロー」と発言したことがきっかけとなって衆議院が解散されたため、こう呼ばれる。

「バカヤロー」と書くと大声を出したような印象を与えるが、吉田は席に着きつつ非常に小さな声で「ばかやろう」と呟いたのみで、それを偶然マイクが拾い、気づいた西村が聞き咎めたために騒ぎが大きくなったというのが実態である。

「バカヤロー解散」の遠因は、吉田内閣の通産大臣池田勇人にあり[3]、池田が「中小企業の一部倒産もやむを得ない」「貧乏人は麦を食え」など、度重なる問題発言を繰り返し、野党から通産大臣不信任決議案を提出され可決。窮地に追い込まれた吉田が、衆議予算委員会における執拗な質問に該当発言を連発したものである[3]




8月28日、、、日本でも商用でのテレビ局が開局します。
日本テレビ放送網、NTVであります。
正力社長は、街頭テレビの設置を打ち出し、村下さんの戦友、さだまさしさんの“父の一番長かった日”にも🎶街頭テレビのカラテチョップが白熱していた頃に~~と歌っておられるほど、NTVのプロレス中継は白熱していたそうです。

 


6月26日、、阿蘇山英彦山を中心に総降水量が1,000mmを超える記録的な豪雨により、九州最大の河川である筑後川を始め白川など九州北部を流れる河川がほぼ全て氾濫、流域に戦後最悪となる水害をひき起こし死者・行方不明者1,001名、浸水家屋45万棟、被災者数約100万人という大災害となった。この水害により筑後川など九州北部の河川における治水対策が根本から改められることになり、現在においても基本高水流量の基準となっている。

この九州北部を襲った水害は気象庁による明確な災害名が付けられておらず、熊本県では「白川大水害」または「6.26水害」、北九州市では「北九州大水害」など、地域によって様々な呼称が用いられているほか、諸文献によっても災害名称が異なっている。本記事名は土木学会西部支部の調査報告書に準拠し、「昭和28年西日本水害」と呼称する。なお本文中の自治体名は1953年当時の自治体名(括弧内は現在の自治体名)を用いる。

(Wikipedia参照)

10月1日、、、熊本にも待望の商用放送、RKKが開局します。

RKKはR(ラジオ)K(熊本)K(株式会社)の略称です。
後にテレビ局が開局、熊本放送に改名するもRKKの略称は今も残っております。
開局にあたっては、前に記した水害により上通の熊日会館から池田の送信所へと放送設備を移すなど多難なスタートだったそうです。


 



🎶ランラランラ、ラ~~ジオ~~、ラジオ熊本~~

と言う歌で、その日の放送を開始。

当日人気を博していたのは“肥後にわか”その頃から、“お米ばあちゃん”事ばってん荒川さんが活躍する様になります。


今は亡き長曽我部アナの声。


また、水俣市にもラジオ中継所がありましたが、今は御所浦に移りました。

下記写真は、現存してるNHKの放送所です。

電波

ワイドFM波を中尾山のRKK送信所から出していて民放4局の地デジ波も同じ建物から出しています。

電波



~テレビの話しあれこれ

  • 1953年
    • 1月 - シャープが国産第1号のテレビTV3-14Tを発売[8]。価格は175,000円。
    • 2月1日 - 日本放送協会(NHK)のテレビ放送開始(日本での地上波テレビ放送の開始)。
    • 8月28日 - 日本テレビ、テレビ放送開始(民放での初のテレビ放送の開始)。またテレビ画面が裏返しに映る日本初の放送事故が発生した。
    当時の主な番組は大相撲プロレスプロ野球などのスポーツ中継や、記録映画など。白米10kgが680円、銭湯の入浴料が15円程度であった当時、テレビ受像機の価格が非常に高価(20万〜30万円程度)で一般人には買えないため、多くの大衆は繁華街や主要駅などに設置された街頭テレビや、土地の名士などの一部の富裕世帯宅、喫茶店、そば屋などが客寄せに設置したテレビを見ていた。
  • 1954年1月23日 - アメリカNBCが、NTSC方式によるカラー本放送開始。

(Wikipedia参照)