仲之町

~認識したのは~

私が村下孝蔵さんの存在を初めて知ったのは、中学生になったくらいでしょうか?

鹿児島市のホールで村下孝蔵さんのコンサートがあるとKTSテレビのCMでした。
桜の花が枚散る中に少女が佇むバックの画を覚えています。
悪まで、視認し印象に微かに残る程度でした。


~歌に最初に触れたのは~

そして時が経ちまして、、、1999年、専門学校に進学した私は委託先の職場で社員旅行の最中、バスでラジオを聴いていました。

SBS静岡放送ラジオの朝のワイド番組で11時台にアナウンサーの方が、、

『さて、悲しいニュースが飛び込んできました。皆さんも驚かれたと思います、シンガーソングライターの村下孝蔵さんがお亡くすなりになられたとの一報が入りました、、』

と臨時ニュースを伝えました。

そして

『すでに沢山のリクエストが初恋など届いていますが、今日は、、踊り子をお掛けしたいと思います。』

との事。

私は、ラジオから流れてきた歌に上手く言えないですが、しびれるような感覚に陥り震えました。
耳からと言うか身体全体で歌を吸収している感じで、スポンジが水を吸うように自然に溶け込んでいましたね。  

そして迫り来る感じの曲調に追いたてられるかの様に早速CD買いました。

CD選書と言うシリーズの初恋~浅き夢みし~

そこで、初恋を聴いて、またしびれたのを覚えています。


~帰郷して~

さて、卒業後に帰郷しまして、村下孝蔵さんが水俣の方だと知りました。
その衝撃たるや、、もう狂った様に興奮したのを覚えています。


~色々な方々との出逢い~

由縁あって、色々なゆかりの方々と出逢いました。

☀永楽座時代を知るお婆さま
☀孝蔵さんのベビーシッターだった方
☀姉の絹代さん
☀絹代さんの同級生の方(喫茶店のママ)
☀兄の修蔵さん
☀修蔵さんの同級生の方々
☀孝蔵さんの同級生の方々
☀コトブキ映劇をご存知の方
☀孝蔵さんに遊んでもらったラーメン屋の大将
☀絹代さんの同級生のラーメン屋の大将
☀太陽館の床が抜けた事案に出くわしたおじさま
☀泉映の火災を聴かせてくれた商店街のおばさま

などなど様々、SNSを通してファンの方々とも出逢う事が出来ました♪


~簡単な活動内容~

2010年、春。
肥薩おれんじ鉄道さまのご協力を賜り、肥薩おれんじ鉄道水俣駅に村下孝蔵さんの記念ブースを設置いたしました(現在は新駅舎の為、撤去)。

2011年10月29日
同級生のみなさんを中心に第一回村下孝蔵を偲ぶコンサートを開催。
修蔵さんの同級生であられる、松本さんよりコンサートのチケット販売の依頼を受けました。
新聞などにも同級生の皆さんの熱い思いや、コンサートをするにあたっての苦難などを知り、少しでもお役に立てれば参加することにしました。


2回目の開催から本格的に実行委員会に携わり今に至る。

現在も実行委に所属。


~館主との出逢い

☆村下孝蔵さんの歌詞を碑にし初恋通りにて落成式が有った時に、館主と出逢いました。

館主は、幼少期に見ていためぞん一刻のメイン“陽だまり”に惹かれたそうです。

青春時代には“ロマンスカー”などに傾倒していったとのこと。

館主は、村下孝蔵さん生粋のファンでして、コンサートの実行委も快諾してくださりました。
現在も実行委に所属。

館主とは、等ホームページ管理人で私は窓口と言う形で共作しております。



~村下孝蔵さんの詩に際し~

村下孝蔵さんの詩(うた)は、等身大の様な気がします。
例えば、踊り子。
誰もが一度は経験する恋愛、中島みゆきさんの“わかれうた”までは行かないまでも若いからこそ猪突猛進で周りが見えないながらも手探りの恋が続く。それを1つのミュージカルの如く描き、台本から、演出、監督、主演をこなす村下孝蔵さんのテクニックは、圧巻だと思いました。
別れるかどうかは答えをわざと曖昧にして、聴くものに恋の駆け引きを演じる俳優に成りきってもらい、個々に答えを探させる辺りがにくい演出だなあと思います。
また、日常をさりげなく切り取った歌詞が並ぶ曲
が多いので、自分に置き換えられ、聴く人が背伸びせず自然と詩の虜になって行く気がします。
ほぼ日本語のみの飾らない等身大の歌詞が共感しやすいのかもですね。